pha著「ニートの歩き方」特設ページ

質問

・生きる意味ってなんだと思いますか




回答

 端的に言うと「人間が生きる意味なんてない」というのが現実なんだと思いますが、だけど「意味がないと人間は生きていけない」というのもまた事実なんでしょう。だから生きている人は意味というものをどこかから調達してこないといけないわけですが、僕が本で書いたのは、生きる意味っていうのを日本的な「世間」とか「常識」とかいうものから持ってくるんじゃなくて、自分の感覚や感情や身体性のようなところから持ってくるのはどうか、という話なんだと思います。別に世間的な常識から持ってきても構わないし、それはわりと楽なんだけど、それにどうしても馴染めないっていう人(僕とか)のために、なんですが。

 ただまあ、感覚や感情を重視すると言っても、美味しいものを食べて美味しい、性的なことをして気持ちいい、萌えアニメを見てブヒる、っていうだけじゃあ、それも楽しいし気持ちいいんだけど、ちょっと虚しくなってくるのが人間です。やっぱり人間が生きるには、人の間にあって人間とかいうように、「人間関係」というものがある程度は必要となってくるんでしょう。それで「自分で実感の持てる身の回りのコミュニティを作ろう」みたいな話も書きました。他人は大事だ。承認欲求。馴れ合いとか傷の舐め合いとか生きていくためには超大事です。

 さらに、他者とか人間関係にもいろいろありますが、「成長するにつれて大事に思える範囲が大きくなる」なんて話もあります。つまり、子供の頃は自分ひとりの欲望で精一杯だけど、成長するにつれて身の回りの家族や友人を大事にしたりするようになる。さらに進むと家族よりもうちょっと大きい範囲の会社だとか地域コミュニティだとかのことを大切に考えられるるようになり、もっと行くと国家、そして人類、究極的には宇宙のこととか考えるのかもしれません。この説がどこまで本当かわからないけど、ある程度の信憑性はある気がする。

 まあこれは下位の欲望が満たされてはじめて、上位のことを考える余裕ができるというような感じで順番に進んでいくべきものなので、自分の欲求を大事にできてないのに国家のこと考えてるとか、家族や友人をないがしろにしてるのに会社に身を捧げてるとか、そういうのは偏った例でしょう。まあ世界に偏っていない人間なんていないわけですが、できるだけ下位のものから充実させていったほうが多分バランスが良い。

 だから、自分の欲求や身体を大事にするところから始めて、そこから徐々に、自分の実感の持てる、自分が自然に大事に思える範囲で、少しずつ自分を取り巻くネットワークを広げていくようなのがいいんじゃないでしょうか。そうした繋がりが生きる実感や生きる意味となってくるんだと思います。



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