pha著「ニートの歩き方特設ページ

ネットでお金をもらった話

(※この原稿は草稿のため、出版時には変更されている可能性があります)

インターネットでお金をもらうこと

 ネット経由で名前も顔も知らない人からときどきお金をもらっている。そう言うと驚かれることが多いけど、「今お金がなくてこんなに困っててヤバい」とか「こういうことやりたいんだけどお金が足りないので誰かカンパしてください」ということを丁寧に説明すれば、結構もらえるものだ。一人あたりのくれる金額はそんなに多くなくて三百円〜千円ぐらいの場合が多いけど、それでも数を集めればそこそこの額になる。

 募集方法としては、銀行口座やPaypalの口座の情報をネットに載せてそこからもらっている。お金以外にもアマゾンのほしい物リストを公開してそこから品物を送ってもらったりもしている。もらったお金と物の金額を合計するとニートになってからの五年間で四十万円くらいにはなっているだろうか。働いている人にとっては大した額じゃないかもしれないが、ニートにとってはかなり助かる金額だ。いろいろ送ってくださった皆さん本当にありがとうございます。


 一番カンパが盛り上がったのは台湾に行ったときだろうか。その時は台湾で開催されるあるイベントに参加したかったのだけど航空券を買うお金がなかったので、ダメ元でネットでカンパを募集してみたら五万円ほど集まって、無事台湾に行くことができた。お金を送ってくれた人たちには帰国した後にお礼の手紙とささやかな台湾のお土産を郵送した。

 あと面白かったのは風邪を引いたときに「熱が出てしんどくて寝込んでる」ってツイッターに書いたら、銀行口座に五千円が振り込まれていて、その振込人の名義が「オダイ ジニ」となっていたことだ。「オダイ ジニ」さんが誰なのかは今でも分からない。意外と知り合いだったりするのかもしれないけど。

少額を多数から集めるシステム

 クラウドファウンディングというネットサービスがある。「何かのプロジェクトに必要な経費を多数の人から少しずつカンパを募って集める」というもので、日本では「CAMPFIRE」「READY FOR?」などのサービスが運営されている。一人あたり数百円、数千円といった金額でも数十人、数百人から集めれば、数十万、数百万の金額になる。昔は少額のお金を多数から集めるのは手間がかかるだけで割が合わなかったけれど、ネットのおかげで伝達や広報のコストが低くなってそういったサービスが可能になっているのだ。

 クラウドファウンディングでは、支援をしてくれた人に金額に応じて「記念品をプレゼントする」とか「パーティーに招待する」などのリターンを返すという仕組みもあって、単にお金を集めるだけじゃなくそのプロジェクトを応援してくれるファンとの結びつきを強くするという効果もあって、なかなかうまいことできている。


 クラウドファンディングでいつも思い出すのは「日本人全員から1円ずつもらったら1億円になる」という話だ。日本人なら誰でも一度は考えたことがあるんじゃないだろうか。1円なんて落ちてても誰も拾わないくらいだからみんな気軽にくれそうだ。誰の財布にも負担をかけずに自分が金持ちになれる。まるで空中から金塊が湧いて出るような素晴らしいアイデアだ。

 しかし、誰もが思いつくけれど成功した話はまだ聞いたことがない。実際に実行しようとすると「1億人にお金をくださいって伝える手段がない」「伝えることができたとしても銀行で1円を振り込むために300円くらい手数料がかかる」などの障害があるからだ。

 だけど、現在ではネットを使えば誰でも手軽に何万人の人に自分のメッセージを届けられるようになっている。振込手数料がかかるという問題はまだあるけれど、インターネットによって少しずつ「1億人から1円ずつ集めて1億円」に近いことが可能になってきているんじゃないだろうか。

ネットによって胴元が不要になる

 お金はないところにはないけれど、あるところにはわりと余っているものだし、ある程度生活に余裕がある人だったら、ちょっと面白いなと思ってくれたら五百円とか千円は気軽に出してくれたりするから、そういうのを集めて生活できないかなーといつも考えている。

 「面白いことをやってる人を応援したい」とか「病気で困ってる人を手助けしたい」というような気持ちはみんな持っていて、全面的に支援はできないまでも五百円とか千円くらいなら出してもいい、って気持ちは前々からあったと思うんだけど、それを可能にするプラットフォームがなかった。

 だから、うまく使いやすいシステムさえあれば普通にお金が動いていくんじゃないかと思う。病気の人をつきっきりで看病するのは難しくても、少額のお金を振り込むくらいなら気軽にできる。少額のお金でも、それが何十人も何百人も集まればそれなりの助けになるお金になる。そんなシステムが実現しないだろうか。


 例えば病気の人をネットで見かけたら、何百人かの人が1000円をその人に振り込んであげるようになったとする。そして病気になったときにカンパをもらった人は、他の人が病気になったときは今度は振り込む側に回る。そういうサイクルが定着したとしたら、それはもはや保険制度と同じようなものじゃないだろうか。

 保険という仕組みが何故成立しているかというと、確率的に、ほとんどの保険加入者は事故にも病気にも遭わないからだ。ほとんどの加入者は掛け金を払うだけでリターンを受け取ることはない。そうして集まったお金が、運悪く病気や事故に遭遇してしまった人に支払われるという仕組みだ。

 とすると、病気や事故に遭った人にみんながインターネットから少額のお金を振り込むというカルチャーが定着して順調に回っていったとしたら、それは保険制度と同じような効果を保険会社という胴元抜きで実現するようなものじゃないかと思う。困っている他人にお金を振り込むのは純粋に他人を助けたいというのもあるけれど、「明日は我が身かもしれないし、自分がそうなったときに助けてもらいたいから人を助けておく」という理由もあったりする。


 また、それと同じように、みんなが自分よりお金がなくて困ってる人に収入の2%くらいをあげるようになったとしたら、それは現在政府が行なっている累進課税や生活保護などの「所得の再分配(金持ちからお金を取って貧乏人に渡すこと)」を、政府という胴元抜きでやってるようなものになるんじゃないだろうか。

 もちろんなかなかそんなにうまくは行かないだろうし、そういう仕組みだけで社会が回るとは思っていない。でも、社会のメインシステムである資本主義や市場経済とは別に、補助的なものとしてそういうよく分からない助け合いみたいなネットワークが広がったら、現在生きづらい人がちょっと生きやすくなるんじゃないかと思っている。

お金をあげるのはコンテンツ

 人にお金をあげるのは人助けという側面もあるけど、それ以上に他人にお金をあげるのってコンテンツとして面白いというのがある。千円で漫画を買うよりも、千円をニートにあげてそいつがどう使うのかを見たほうが面白かったりする。つまんないときもあるけど。


 フィリピンのセブ島に大喜利ハウスという家があって、そこでひたすら大喜利をして生活をしているニートがいる(僕が書いたブログ記事 http://d.hatena.ne.jp/pha/20120325/1332662640)。ある大学の落研に全く働かないニートがいて、それを見かねた落研の先輩たちが「お前ニートやってるならセブに行っても一緒だろ、物価安いからちょっと行ってこいや、面白いし」と言って彼をセブに送り込んだのだ。彼はたった一人でセブ島に住んで、フェイスブック上で「こんなフィリピンの海は嫌だ」「サンペドロ要塞でなぞかけ」とかいったお題に答えるという大喜利をやっていて、それを見た人が「いいね!」ボタンを一回押してくれるごとに10円を先輩が送ってくれるという仕組みになっている。ちなみにセブだと10円あれば路上の屋台で得体の知れない肉の串が一本食べられる。

 この大喜利ハウスのことを「ネットを使ったリアルたまごっち」と言っていた人がいたけど、現実世界のたまごっちは普通のたまごっちより十倍くらい面白いと思う。

 そんな風に面白半分でネタとしてニートにお金をあげるとかもらうというようなことをしていると「不謹慎だ」って怒る人もいるけど、僕は面白半分でも別にいいと思う。真面目さだけで「ニートを救おう!」とかやってもなかなか人も集まらないし、やってる人もしんどい。面白さのないものは結局続かないしあまり広まらない。人間はそんなもんだと思う。

お金をあげると回り回る

 僕自身もお金をもらうばかりじゃなく、自分よりもお金のなさそうな人や困ってる人や、こいつはヤバくて面白そうだと思った人などにはときどきお金を振り込んだり物を送ったりしている。僕も貧乏なので、五百円とか千円とかいった少額だけど。

 それはコンテンツとして僕自身が面白がるためというのもあるし、自分が率先してそういうことをすることで気軽にお金を振り込む行為が定着してほしいっていうのもある。明日は我が身。あと、ネットでお金をもらっている僕が、もらったお金の一部をまた他のニートにあげる、というサイクルが回っていくのは面白いと思うし。

 それと、これは根拠のないオカルト的なことだけど、人にお金を気軽にあげるようにしていると、回りまわって自分のところにそれ以上のものが戻ってくるような気がするというのもある。


 あとまあそういう理屈抜きに、人にお金をあげるのってなんか楽しいというのがある。スカッとするというか。

 買い物をたくさんしたときも消費する快感があるけれど、他人に無償でお金をあげるのはそれ以上に妙な爽快感と解放感がある。なんか自分の体が軽くなるような感じだ。そういう感覚につけこんで悪質な宗教団体が「煩悩の象徴であるお金をうちに寄付することでカルマを減らすのです」なんていってお金を集めたりするんだけど。お金を燃やしたり捨てたりしても同じような快感があるのかもしれないけど、燃やすぐらいだったらニートにあげたほうがいろいろと面白い。

「お金がないと生きていけない」への憎悪

 もっと言うと、僕は「お金がないと生きていけない」とか「お金を稼ぐには働かなければならない」という事実にまだあまり納得が行っていないというのがある。憎悪していると言ってもいい。それは社会では当たり前のことなのかもしれないけど、それが当たり前だって簡単に思いたくない。もっと適当に、お金なんてなくても全ての人間は安楽に幸せに生きられるべきなんじゃないのか。それが文明ってもんじゃないのだろうか。それは夢のような話なのかもしれないけど、なんかそれは諦めたくない。

 だから、労働以外のよく分からない理由でもっとお金が適当に動けばいい。ランダムとか気まぐれとか面白半分でみんなが気軽にお金を他人にあげるようになればいい。それが定着したらもうちょっとは生きやすい世の中になるはずだ。僕はそんな気持ちを込めながら、顔も知らないネットのよく分からないニートに五百円を振り込んだりしている。


 まあでも、そんなこと言ってもお金は欲しいんだけど。お金がないのが不幸に繋がりやすいのは残念ながらおおむね真実だし。なので、お金を捨てたい人がいたら気軽に僕にください。ニートにお金をあげてカルマを減らそう。

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