「ギークハウスなう」第24回(Software Design 2012年4月号掲載)
この連載のタイトルになっているギークハウスというのはパソコンやネットが好きな人が集まって共同生活をするというコンセプトで僕が始めたシェアハウスなんだけど、2007年7月に始めた当初は1軒しかなかったギークハウスも、2012年2月現在は日本国内・海外含めて20軒余りに増えている。特に増やそうと意識していたわけではなけれど、「ギークハウスというコンセプトは誰でも自由に使っていいですよ」と言っていたら、自分でもギークハウスを作ってみたいという人が次々にいろんな土地で現れて、いつのまにかこんな数になっていた。
家の数も増えたし関わっている人数も増えたけれど、それを統括するような組織があるわけではない。僕が言い出しっぺなので一応代表のような感じになっているけれど、僕がトップに立って全てを管理しているわけではない(そういうのは面倒だし)。基本的に各ギークハウスを運営する人が、パソコンやネットが好きな人が集まって住むという大雑把なコンセプトを共有しながら、それぞれ自由に動いているだけだ。
「そんなに住みたい人が多いんなら起業してビジネスしたらいいんじゃないか」と言われることもあるんだけど、今のところそのつもりはない。コンセプトはオープンにしておいて、真似をしたい人は自由に真似をすればいいと思っている(それでうまく行かなくなってきたらまた考え直すかもしれないけど)。組織を作ったり事業化したりしない理由は、僕がそういう実務的なことに対して面倒臭がりだというのが一番の理由だけど、誰でもコピー可能な自由なアイデアにしておいたほうがそのアイデア自体が広まっていきやすいと考えているからでもある。そして、ギークハウスプロジェクトという運動をそんなゆるい感じで回して行っても何とかなるんじゃないかと思えたのは、ソフトウェアの世界においてオープンソースという先例があったということの影響が大きい。
オープンソースなソフトウェアの主な特徴は、プログラムのソースコードが全て公開されていて、そのソースコードを誰でも自由に複製・改変・再頒布できるというところだ。オープンソース抜きで現在のITやウェブの発展は語れない。オープンソース運動の始まりは1998年だが、ソフトウェアを誰でも自由に使える形で公開・共有するべきだという考えは1980年代に始まったフリーソフトウェア運動(オープンソースよりさらに過激に情報を共有しようとする)の頃から続いているものだ。
もしオープンソースなコードがなかったら、僕はプログラミングを個人で、趣味で始めようなんて全く思わなかっただろう。全部一から自分で構築するか、もしくはお金を払って購入しなければならない、というのは個人にはハードルが高すぎる。
オープンソースについてはお世話になっているから、自分で書いたコードについてもできるだけオープンソースライセンスで公開したいという気持ちが強い。先人の遺産を引き継ぐことを「巨人の肩に乗る」と言ったりするけれど、プログラミングに限らず何を作るにせよ自分が一から作り出したものなんてなくて、先人の作ったものを組み合わせたりアレンジしたりしただけのものがほとんどだと思う。自分のアイデアが100%自分のオリジナルだなんて言えない。それだったら自分で作ったものも、自分だけのものにせず誰かの再利用や改変に対してオープンに開かれていたほうがワクワクすると感じる。
ギークハウスの場合も、パソコンやネット好きな人が集まるコミュニティは昔からあったし、シェアハウスという共同住宅の形も昔からあった。僕はそれを単に組み合わせただけだし、僕が作らなくてもそのうち誰かがギークハウスのようなものを作っていただろうと思う。僕の理想としては、ギークハウスという言葉がマンションとかアパートとかいう言葉みたいに、最初に誰が考えたのかも分からないし、そこらじゅうに当たり前のものとしてあるもの、というぐらいに普及して広まったらいい。そこまで概念が広まったら提唱者としては勝ちだと思う。ギークハウスに遊びに来た何百人かの人間のうち、何人かが自分でもギークハウスを作ろうと思い立ち、そしてできた新しいギークハウスに遊びに来た人の何百分の一かがまた新しいギークハウスを作る。そんなふうに、人間の「面白そう」という感情をエネルギー源にして、関わった人を巻き込みながらどんどん増えていく自動増殖システムとして回っていけば面白い。
オープンソースソフトウェアの場合は、作業対象となるソフトウェアのコードがそもそもオンラインに全て上がっているので、遠く離れた場所に住む多数のプログラマが直接会うことがなくても常に情報を共有しながら作業を進めていくことができた。けれど、ギークハウスのようなリアルワールドに存在する家や生活を対象にしたプロジェクトが、きちんとした組織を持たないオープンソース的なゆるい繋がりでうまく回っていくだろうか、という点は最初不安だったのだけど、結局そのあたりはTwitterやFacebookが解決してくれたと感じている。
TwitterやFacebookの登場によって、他人のリアルな生活や日常をオンラインで共有することが簡単になり、実際に会わないと伝えにくい「場の雰囲気」や「微妙なニュアンス」のようなものが、オンラインでも伝わりやすくなったのだ(もちろん完璧ではないけれど)。だから、ギークハウスプロジェクトには遠く離れたところに住んでいて一回も会ったことのない人もたくさん参加しているけれど、みんなそれぞれの都市でギークハウスのコンセプトと雰囲気を共有したハウスを運営してくれている。ネット経由で遠く離れた人にアイデアを感染させるのは本当に簡単になった。
組織の形態というのは通信技術によって変化する。直接人間が移動するしか通信手段がなかった頃は、共同で何かをする組織というのは基本的に近場に住んで直接目の届く範囲だけで完結するものだっただろう。それが電信、電話、インターネットと技術が発達するにつれて、直接顔を合わせずに各自が自由に動きながら共同で作業を進めていくということがどんどん簡単になり、組織の広がる地理的な範囲も地球規模に拡大してきた。
そもそもは組織というのは大きくなればなるほど、一定のクオリティを維持しつつ一体感を持って動かしていくには、ピラミッド型の命令の伝達構造が必要になっていくものだった。けれど、ネットコミュニケーションの発達によって、トップや役職をはっきりと決めない不定形の組織によるムーブメントが、統制の取れた組織と同じくらい大きくなる可能性がでてきてるんじゃないだろうか。5年近くの間ギークハウスプロジェクトに関わってきてそう感じる。
追記:
ギークハウスプロジェクト自体はオープンソース的に運用して、いろんなギークハウスとかその他類似ハウスとかできるのはLinuxのいろんなディストリビューションが出るみたいな感じになればいいんじゃないかと思っている。
ただ、オープンっていっても何か敷居があったほうがいいかな、というのを最近考えている。制限なさすぎると強度がなくなるとも思うんだよね。あんまりやる気ない人とかビジョンを共有してない人とかが入ってきたりして。そういう意味では会費を取るというのも一つの選択肢としてありかな、というのもたまに考える。会費を取る利点→「お金が集まるとできること増える」「作業をした人にリターンを渡せる」。ただ、会費取らないほうがシステムとして美しいなあとも思う。
まだまだこのへんは考え中だけど、会費を取るのではなくて、参加する人はコミュニティに協力しなきゃいけないとか、GPL使ったら自分もソースコード公開しなきゃなんないみたいな類の、なんかそういう強制的に外に開くような縛りを入れるのがいいかもしれない。ギークハウスを名乗ったら、年に一回か二回、半裸の荒くれ者のギーク達が集団でやってきて夜通し奇声を発しながらハッカソンをするのでそれを強制的に受け入れないといけない、とか。奇祭って感じで。祭りというものは古来からコミュニティをまとめる役目を担っているものだし。
あと、僕の立ち位置もどうしようか迷う。主催とか主宰とかにすると中心で仕切ってて全てを把握してて全てに責任を持つイメージがあるので、もうちょっとゆるい感じの立ち位置にしたい。なので「提唱者」とか「呼びかけ人」とか言ったりしているんだけど、まだ検討の余地がありそう。呼びかけ人というのは青空文庫の人がそう名乗ってたので。優しい終身の独裁者 - Wikipedia(BDFL:Benevolent Dictator For Life)なんて呼び方もあるらしいので、そういうのもありかなあと思ったり。