Software Design誌連載「ギークハウスなう」第23回(Software Design 2012年3月号掲載)

インターネットの優しい匿名たち


匿名は優しい

日本のインターネットは匿名のユーザーが多いから、無責任な発言や誹謗中傷が頻繁に行われて残念だ、という意見がときどきある。確かにそういう問題はときどき起きているけれど、実際には問題になるのは一部の人で、大多数のネットユーザーは人に迷惑をかけることなく匿名の状態を楽しんでいると思う。

匿名の世界というのは人に優しい。そこでは自分は何者でもないし、自分が誰であるかを誰も気にしない。匿名の集団の中に入って数多くの匿名の一人になってしまえば、そこには不思議な一体感と安心感がある。

自分の名前を捨てて匿名で発言するのは気楽だ。うっかり何か変なことを言ってしまっても責任を負う必要はないし、恥をかいたとしてもそれは後に残らない。匿名だと昨日と今日で整合性のない発言をしてしまってもバレない。名前を出しておかしなことを言うと、あの人は昔あんなことを言っていたというログが永久に残ってしまう可能性があるが、匿名だとそんな心配はない。

立場を離れているから好きなように書けることもあるし、知り合い相手じゃないから吐き出せる悩みもある。スケールの大きなところでは、Wikileaksは匿名だからこそ弾圧をおそれずに情報を公開することができたし、もっと卑近なところでは、日常の不平不満や愚痴などを匿名だと言いやすい。実名でネガティブなことを吐き出すと、人間関係がギクシャクしたり、もしくは周りの人たちに過剰に心配されてしまったりするおそれがあるけれど、匿名だとそんな心配はない。ひっそりと感情を吐き出したい夜も人間にはあるものだ。

そんな気楽さや自由さがあるから、多くの匿名掲示板や匿名ダイアリーなどのウェブサービスが盛況なのだろう。匿名のままで意見を発表したりコミュニケーションしたりすることは、インターネット無しではなかなか難しい。インターネット以前だと、行ったことのないバーにでも行って知らない人と喋るか、公衆便所の壁にでも書き殴るしかなかった。それが今では部屋にいながらネットで簡単にできる。匿名で好きなことが言えるのはインターネットによって実現された重要な自由だと思う。

実名か匿名か

オンラインで実名を名乗るべきか匿名を名乗るべきか、という論争は今に始まったことではなく、パソコン通信の時代からずっと続いているものだけど、ここ2、3年は実名をネットに出している人が増えてきているような気がする。TwitterやFacebookの流行でネットの活動とリアルの活動がシームレスに繋がってきたことや、インターネットが一部のサブカル的なものでなく一般的なメディアになってきたためだろうか。

匿名と実名とはきっぱり二つに分けられるものではなくていろんな段階がある。僕は実名は出さずにずっとphaという名前を使っているけれど、一つのハンドルネームをずっと使い続けていると、もうそれは実名とあんまり変わらない。ネットである程度活発に活動しているとハンドルネームをころころ変えられるものじゃないし、変えたとしても「あの人は前に◯◯という名前だった」ということはすぐに分かってしまうものだ。

ネット経由で会った人はハンドルネームしか知らない人も多いし、本名を聞いてもすぐに忘れてしまう。ハンドルネームとアイコン画像で普段から認識しているし、本名って普通っぽくて平凡なので印象に残らないからだ。名前なんて相手を同定できればそれでいい。大体はみんなわざわざ名前を新しく考えるのが面倒なので戸籍名をそのまま使っているだけだ。

人間はもっと状況に応じていろんな名前を名乗っていいと思うんだよね。インターネットに限らず、例えばどこかの居酒屋に行ったら明らかに日本人だけどジョニーって呼ばれているおっちゃんがいつもいて、一緒に酒を飲んだり喋ったりもするけれどみんなその人の実名が何かは知らない、とかいう風に、そんな程度でいいと思う。状況に応じて必要なだけの情報を渡せばそれで十分だし、本当に戸籍名を渡す必要がある相手なんて会社と役所と銀行くらいじゃないだろうか。人間は場合に応じていろんな顔を持つものだし、戸籍名とハンドルネームと匿名を使い分けられることで行動の幅が拡がるのはいいことだと思う。

匿名の暗黒面

しかし「炎上」や「祭り」と呼ばれるような、インターネットの匿名の集団による暴動がときどき酷いことになるのは事実だ。多くの場合のパターンとしては、行動原理は「メシウマ(他人の不幸でメシが旨いの略)」と呼ばれるもので、個人や企業が何かミスを犯したようなときに、匿名掲示板でその相手を叩くスレッドが盛り上がって、物凄い勢いで相手の個人情報を暴いたり、勤めている会社や関連団体に通報をしたりする。

その匿名の暗黒面は匿名の楽しさと表裏一体ではある。名前を捨てて匿名の一人になって、匿名の集団が盛り上がっているところに参加するのはとても楽しい。けれど、それが他人を攻撃する方向に行ってしまうと炎上になってしまう。匿名の集団が集まった場合に集団心理で攻撃性が解放されてしまうというのは、昔からリアルで起きていた暴動なんかでも同じなんだけど、現代では部屋にいながらして誰でも気軽に暴動に参加できてしまう。しかし現実に行われる祭りは基本的にポジティブで楽しいものなのに、ネットの「祭り」は何故ネガティブなものばかりになってしまうんだろうか。

そういった炎上は問題ではあるんだけど、規制するのも難しいんだよね。匿名と言っても大体の場合は完全な匿名ではなく警察が動けば書き込んだ人間は分かってしまうので、本当に悪質な殺害予告だとか犯罪予告は捕まえることができる。だけど単なる中傷や嫌がらせ程度だとなかなか書き込んだ人を特定して罰することは難しいし、逮捕されない程度の行動でも攻撃対象にされると結構なダメージを受けてしまう。かといって全ての書き込みを実名に紐付けるべきだ、としてしまうと、今度は匿名の良さが死んでしまう。それは言論の自由と表裏一体でもある。

また、ネットで実名を出すようにすればみんなマナーがよくなるのか、というのも疑問だ。実名でネット活動をしていても痛い行動をする人はたくさんいる。そうした気合の入った(?)人はフリーランスだったり文筆家だったり無職だったりして一般的な会社員じゃないことが多いのだけれど、そうすると「実名を出していればマナーがよくなる」というのは、炎上して会社に通報されたりするのが怖い、というのが抑止力になってるだけだし、そういうムラ社会的な私刑で秩序が保たれるのもどうかと思う。

結局はインターネットが悪いのではなくて、もともとそういう性質を人間は持っていたということなんだけど。下衆なメディアなんてインターネット以前から無数にある(カストリ雑誌とか)。これからはそうした闇の部分も人間の一面だと考えて、無名の人たちの攻撃性が解放されたこのインターネットを生きていくしかないんだろう。人間怖い。

泣ける2ちゃんねる (2ch+BOOKS(1))
泣ける2ちゃんねる (2ch+BOOKS(1))


一覧に戻る